好きなこと、
やりたいこと、
を仕事に、
というのがクローズアップされている中、
今回ご紹介する吉田瞳さんは、
自分自身の内側との対話を続け、
社会の主流になっている
宣伝活動や、
インストラクターとして
「こうしたらいいよ」
ということから離れ、
独自の道を進んだ方。
時に人は
前に進むよりも
待つことの方が大切とわかっていても
焦りの中で
自分の本質とつながりを忘れてしまいやすい。
そんな中、瞳さんは、
“ヒーリング”と “ムーブメント”という
一見正反対に思えるものが融合し、
自然と一体になれる心地よさが味わえる
音叉ヒーリングムーブメントを
生み出しました。
わたしが今まで出会った人の中でも、
ここまでじっくりと自分との対話を重ね
最終的にクオリティーの高さだけでなく
動くことが苦手な方でも
自分とのつながりを大切にしながら
体を動かすことができるものを
提供している人は他にはいないと思います。
今回はその
音叉ヒーリングムーブメントが生まれるまでの
プロセスをじっくりと伺いました。
今、個人事業やインストラクター業をやっているが
思ったように前に進めない方、
何か新しいチャレンジをしたい方、
オリジナルのワークを開発したい方には
とっても参考になることが書かれていますので
ぜひ最後まで読んでみてください。
それでは吉田瞳さんの
「音叉ヒーリングムーブメント」が
生まれるまでです。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
今回、「音叉ヒーリングムーブメント」についてを
HPに来てくださったみなさんにご紹介したいのですが、
まずは、この名前について。
もちろんみなさん初めて聞く名前なのですが
これは瞳さんのオリジナルのものですか?
はい、オリジナルのものです。
「音叉」「ヒーリング」「ムーブメント」はそれぞれ元々ある言葉ですが、
これを合わせたのは私自身です。
検索してもヒットしないので、初めてのものらしいです。
私の内から出てきたネーミングではありますが、
まだ誰もそれを使っていないということはありがたいですね。
名前の印象が今風でもあるけど、
本当にムダな感じがなくとってもシンプルだなぁと思ったのですが、
どうしてこの名前にしようと思ったのですか?
まず音叉を使うので、音叉は入れることは決まったのですが、
後は何を組み合わせるかですよね。
次にきているヒーリングという言葉。
これは元々抵抗があったのですが、
ヒーリングには癒やす側も癒される側もない、
という健太郎さんからの学びがしっくりきてました。
そして、最後のムーブメント。
これは私自身が長らく体を固めていた、
動きたいのに、動けないと思い込んでいた、
そんな実体験からきています。
今思えば、「自由に動けばいいのに!」という感じなのですが、
本当にどう動いたらいいのかわからなかったのです。
頭で難しく考え、動きの正解を探し、
「どう動いたらいいの?誰かサポートして!」と真剣に思っていました。
私は特別痛みなどもないのに、
そんな風に体を動かすということを難しく考えていたわけですが、
本当ははっきり目に見えたり感じられたりするかたちで物理的な体を動かさなくても、
体は自然に動いているわけです。
わかりやすくは呼吸ですが、
他にも臓器、血液やリンパなど細胞の全てが動いているわけですよね。
でも、あまりにも自分の本質と繋がっていないと、
その動きを止めてしまうような力が働きます。
自分の本質と繋がる、全体が自由に流れる、それが信頼できていないと、
その流れを止めるために、多大なエネルギーを使います。
というのは、私が自分の体にしていたことなのですが、
同じようなことを自分の体にしている方もかなりいると感じています。
頭で考えることももちろん大事ですが、
色々考えるよりも、
体を動かしてしまったほうが、
うまくいくことがあります。
特に、常に頭でぐるぐる考えてしまう人は。
自分の心身が繋がっていないと感じる人や、
自然なあり方や動きと言われてもピンとこない人などもそうですね。
頭で必死に考えるのは一旦やめて、
体を動かしてしまうと、
悩み苦しんでいたことでも、
自分の中で解決したり
気にならなくなったりすることも多い。
動きを大切にしたかったことから、
ムーブメントという言葉も入れました。
もうすでに何度かこの「音叉ヒーリングムーブメント」を
開催をされたと思うのですが、
今までにどんな方が参加されていますか?
そして元々はヨガなど体を動かすことや柔軟性に自信がない方が多いです。
でもこれは私がそうだったので、引き寄せていたんだと思います(笑)
最近は、ヨガティーチャーなど教える立場の方も来てくださるようになりましたし、
本当に色々な方がきてくれます。
でも、不思議とまとまるんですよね。
難しい動きではなく簡単な動き、
長いシークエンスがなく短くリピートしていく動き、
そんなこともあるかもしれませんが、
結局はそれぞれの方が自分の本質と繋がることをしていく場を作る、
それは共通しているからだと思います。
私の意図はそこにありますので、そう思いたい気持ちもありますし(笑)
これって、みんなが音叉を持って動くんですよね?
みんなマイ音叉を持って来てる感じ?なのでしょうか?
はい、全員が音叉を持って動きます。
皆さんがマイ音叉を持っているわけではないので貸し出しもしています。
でも音叉は素晴らしいものですし、
使用しているニチオンさんの音叉のクオリティは非常に高いので、
続けているうちにマイ音叉が欲しくなると思います♪
なんか、みんなで動きながらみんなで鳴らすって
イメージできるようなできないような、な感じなのですが(笑)
実際に鳴らしてみるとどんな感じがするのでしょたか?
イメージできるようなできないようなというのはわかる気がします(^.^)
これはぜひ体験していただきたいのですが、
1人で鳴らす心地よさや安心感が、
さらに大きく広がる感じがします。
もっともっと大いなるものに抱かれている感じですね。
元々は私の1人遊びから始まっているのですが、
初めて複数人でやった時には、温かいものを感じましたし、
その大きさや広がりに本当に感動しました。
そして、複数人で鳴らすと、音としてもさらに味わい深くなります。
音叉ヒーリングムーブメントを始める前に、
すでに音叉を使いながら流れの中で体を動かすという、
ヨガのようで実はヨガのようではないものをされていましたよね?
その時に体験させてもらった時から特に大きく体を動かしたわけではないのに、
なんだかスッとした感じがして、
体の力が綺麗に抜けていく感じを味わいました。
この「音叉ヒーリングムーブメント」も
そのような要素が入っているのでしょうか?
はい、そのような要素がいっぱい入っています!
私がやりたいのは、
ポーズができるようになることでもなく、
柔軟性を増すことでもなく、
筋力をつけることでもなく、
お一人おひとりが自分の本質と繋がることです。
(でも、ちゃんと自分の源と繋がれれば、
自然にだんだんとポーズが取れるようになり、
柔軟性が増し、筋力もついてきますが)
ソース、源、源泉、本来の自分に還る、変容する、自分の真ん中、
ど真ん中、中心軸…どんな言い方でもいいのですが、
今1番しっくりくるのが本質という言葉なので、
これを使わせていただきます。
なので、
私がやっているのは、
「自分の本質と繋がるためのセッション」です。
一応型というか形があるのもそのためです。
もう、自分の本質と繋がることができた人には型や形はあまり必要ないように思います。
それがなくても、自分を信頼して、自分の感覚から動けますから。
自由な踊りのイメージですね。
でも本質と繋がっていないように感じる人には、
型や形って大事なんです。
安心できますからね。
ところが、その型が常に動きが変わり続けるフローだったり、
1つの動きが長かったりすると、
まずはそれを覚えるのに時間がかかります。
さらに覚えた、覚えられない、できる、できない、になってしまい、
良い悪いのジャッジにも繋がります。
その点、音叉ヨガも音叉ヒーリングムーブメントも、
動き続けますが型がありますし、
型とは言っても1つの動きは短く
リピートするようになっているので覚える必要もありません。
頭を使う必要はなく感覚や本能に従えるので、
安心して動きに委ねられ、本当に心身がクリアになります。
そういえば瞳さん、以前に「私はじっとしているのが苦手で、
だからリストラティブもリラックスができなかったんです」と
いうようなことをおっしゃってましたよね?
あれはなんでなんでしたっけ?
ヒーリングもある意味じっとしているイメージが普通だったらあるのですが、
それもあって、「ムーブメント」という要素に行き着いたのでしょうか?
これは前の話にも繋がると思いますが、
じっとしているより、
体を動かしてしまったほうが、うまくいくこともあるんです。
リストラティブやじっとしているヒーリングが悪いとかそういうことではなく、
合う方を選択したらいい。
私の場合は緩やかに動いたほうが心身が調和しやすく、
ヒーリングも起こりやすかったので、「ムーブメント」という要素に行き着きました。
そして、他にもそんな方はたくさんいると思っていますし、
そこに共感される方は動き、ムーブメントを取り入れるといいと思います。
今回、特に面白いなぁと注目しているのが、
「輪」になってというところ。
普通先生と生徒は向き合って学ぶじゃないですか。
どうしてまた「輪」にしてようと思ったんですか?
これがめっちゃ気になります。
不思議ですよねー、普通。
でも、
私は先生と生徒が向き合っているほうが違和感があったのです。
1人の先生に対して、生徒はみんな先生のほうを向いている。
そして、先生は全員の生徒を見ているのに対して、
生徒は先生だけを見ている、もしくは他の生徒の背中を見ている。
それって、役割が固定化されていて、
流れがなく硬い感じがしたのです。
1人の先生が与える、たくさんの生徒が受け取る、みたいな一方通行。
そこには、たった一つの正解を先生が知っていて、
まだそれを知らない生徒に与える、そんなイメージもありました。
私には、正解は一つではないのではないか、
そもそも正解ってあるのだろうか、
実は正解なんてものすらもないのではないか…
そんな思いもありましたので、
向かい合う学び方に余計違和感があったのかもしれません。
WSとかでは丸くなって座ったりしますし、
昔の遊びって丸くなってやったりしましたよね。
角がなく柔軟で優しいかたち。
役割や方向性が固定化されていない、固定化されにくいかたち。
みんなが同じ立ち位置なので、ありのままでいやすく、
新しいものが生まれやすいかたち。
正解とか不正解などもない、そんなイメージです♪
みんなでぴったりあって動けたら
1人でやったり、
従来の先生と生徒という関係性では味わえない
心地よさがありそうですよね。
個人的にはそんなのを見てみたいのですが(笑)
いつかライブパフォーマンスみたいにはしないですか?(笑)
それでみんなで衣装とか合わせて踊ったら楽しそうですよね。
なんだか日常とは違う空間になりそう。
そんなことも考えてますか?
みんなで音叉を鳴らしながら動いたら、
例えそれがぴったり合っていなくても、
かなりの心地よさがあると思います♪
基本的に普段はぴったり合わせるよりも、
合わせようとするよりも、動きが私と違ってもいいから、
心地よく自由に動いて欲しいです♡
そして、ライブパフォーマンス的なこと…
今のところその予定はありませんが、それも楽しそうですね!
みんなで衣装を合わせるのもいいですね(^.^)
今はもちろんドレスコード的なものはないのですが、
音叉ヒーリングムーブメントはヨガとは違う服が着れるんです。
逆転のポーズもないし、音叉を持っている以上、腕で体を支えることもない。
そうなると、ふわっとした服も着れます。
私はヨガとは違う服を着ていますし、
皆さんとそんな感じで合わせたら楽しそうですね!
これから考えてみたいと思います。素敵な提案をありがとうございます♪
動きを見ると、何か自然の中のものを動きに表している、
そんな感じがあるのですが、
実際にはどんな動きをイメージされているのですか?
明確なイメージっていうのはないんです。
でもこれも健太郎さんが質問してくれたので、
意識を向けてみたら気づいた、そんな感じですが。
何かをイメージしよう、というのはないですね。
ただただ、繋がろう、一緒になろう、という意識はありましたし、今もそうです。
自分の内側へも外側へも繋がる、それは直線でも一方的な方向でもなく、
もっとふんわり多次元的なイメージです。
自分の本質、源泉、ソース、魂、真ん中、
などなど色々な言い方があるかもしれませんが、それらと繋がるイメージです。
そんなことをイメージしていたら、動きが出てきました。
勝手に身体が動きたくなったのです。
動きをイメージしたから、動きが出てきたわけではないんですね。
そして、そんな動きに身を委ねていたら、
私は自然の一部であるということを思い出しました。
そんな風なプロセスを経て表に出てきた動きが、
自然の中のものを表しているように感じるのでしたら嬉しいです♡
瞳さんの指導の仕方ってなんか独特というか、
なんというか。。。
どんな体験からあの指導の仕方になったんですかね?
わ、この質問、私にはけっこうきつい質問です。
でも今は、過去形になりつつあり、
きつい質問でした、という感じかもしれませんね。
この肉体が体験したことは、大きなトピックだけあげても、いくつかありました。
まず、生まれた時から身体が弱く、喘息とアトピーで、
幼稚園は半分行けないほどでした。
そんな不安定な身体でしたが、少しは元気になってきて小学生に。
そしたら、1年生の時に誘拐というか乱暴というか…未遂事件の被害者になります。
直後に同じ犯人が大人の女性の命を奪ってしまい、
地元ではかなりの大事件となりました。
自分が被害者になったことだけでもきつく、
夢に見たりフラッシュバックがすごかったのに、
私がちゃんと警察に行かなかったからだと罪悪感にも苛まれ、
でも家族には「あなたは無事でよかった」と言われてしまうので、
自分が苦しんでいることも言ってはいけないと思い込み…。
完全にトラウマになりましたが、
そんな苦しさを表に出してはいけないと思い込んでいました。
私という人間の個性もあったのでしょうが、
幼かったからもあったと思います。
子供の思考回路は時にかなり独特で、切ないですね。
私はその時のことをあまりに夢に見すぎたので、
今ではあの時に本当は何が起こったのか正確にはわかりません。
そのためか物質世界にちゃんとグラウディングできていない子どもでしたね。
家族みんなとご飯を食べていながらも、
これは本当の私の家族じゃない、
私は身体が弱くて病院のベッドに寝ていて点滴を受けているんだ、これは夢なんだ、
そんな明確なイメージがありました。
そして、小さい時はかなりの良い子でしたね。
また同時期、小学生の時から父の身体の様子がおかしくなるのですが、
それは結局は精神的なものからきていました。
心身のバランスをうまく取れるようにはなかなかならず、
長年引きずり、後に衝撃的なできごとが起きたりもしました。
このあたりからは、インタビュー記事に書くのは難しいみたいです…。
父のことだけではなく、他にも色々と起こりました。
それらを今では自分の中では消化しているつもりですし、
人に話をすることもできるようになりましたが、
ここに書く気になれませんでした。
でも、それらの経験の全てが今の私を作っているわけですし、
それらの経験を踏まえた上で今のような指導になっているのは事実。
過去の体験がいいとか悪いとかではなく、
そこからの影響が大きいことは自覚しています。
それに関連してかわかりませんが、
私が一番気になっているのが、瞳さんの在り方。
普通、個人で色々やっている方って、
クラスをいっぱい持って、
自分を売り込んで、と、自分の心のスペースを大切にしたい一方で、
どうしても現実の問題で焦ってしまう部分があると思うんです。
それが、瞳さんの場合、とってもゆったりとされて、
本当に出産のように「音叉ヒーリングムーブメント」が生まれたように感じたんですね。
それってそこに行き着くまでにどんなプロセスや思いがあったのでしょうか?
あり方、私の大事なテーマです♡
健太郎さんのおっしゃる、
個人で色々やっている方、
クラスをいっぱい持って、自分を売り込んで、
ですが、私もやろうとしたことはありますが、
できなかっただけです。
でも、肉体ではやっていませんでしたが、精神ではやろうとしていて、
やらねば、やるべき、と思っていて、かなり焦っていた時期もありました。
質問されて改めて思ったのですが、
普通の方が焦りからたくさん行動するところを、
私は焦っていながらもたくさん行動していたわけではありません。
外から見える行動というレベルでは全然違うかもしれませんが、
精神では同じことが起こっていて、
同じように焦っていたわけです。
そして、その焦りがなくなってきたら、
「音叉ヒーリングムーブメント」が生まれました!
もちろん、焦りというか、心地よくない状態になった時に、
音叉を使ったり動いたりして良くなったという流れももちろんあったのですが、
どちらかというと、その逆の方が真ですね!
その焦りがなぜなくなったかが、
これを読んでいる方の一番気になるところでしょうか。
精神的な焦りや不安に関してはかなりのものを持っていたと自負しています。
それに取り組むには、やっぱり1人では限界がありました。
いかに自分ごととして捉えられるか、がポイントでしたね。
ヨガティーチャーになった後に、
人生最大と思える悲しい出来ごとが起こり、本当に不安定になりました。
その時に、アレクサンダーテクニークのBodyChanceに出会い、
そこで徹底的に自分ごとであること、
まずは自分ということを教えてもらい、
やっと体感もできました。
そこから、アレクサンダーテクニーク教師でもある健太郎さんと繋がり、
音叉ヒーリングアカデミーのお世話になり、
音叉の素晴らしさに触れたり、自分の半生を振り返ったり、
大きな変容が起きました。
他にも、自己統合の講座に出たり自分が興味を持ったものに色々と参加しつつ、
生活も自分の感覚に任せて色々と変えていきました。
食べるもの、身につけるもの、肌につけるもの…。
そして、階段から落ちて大怪我したり、
身体の調子がだんだん悪くなると思ったら、
皮膚から一気に必要なくなったものが出始め、
本当に酷い皮膚炎にもなりました。
そんな激しいデトックス、変容が起こって、
だんだんと焦りを始めとするたくさんの心地よくない状態が減りました。
より心地よい状態でいられる時が増えてきたら、
音叉ヒーリングムーブメントが生まれたわけです。
きっと元々、私の中にあったものです。
それが、自分が心地よい状態にいられるようになったから、
自分で自分が信じられるようになったから、
自分にOKを出せるようになったから、
気づくことができました。
そして、その気づいたものの存在も認めることができ、
そこからまたゆっくりと育むこともできました。
そのうちに自然に生まれてきたのだと思います。
出産のように、外に生み出した瞬間もありましたが、
とても思い出深いです。
健太郎さんに、
「私の1人遊びから始まったのですが、
音叉を持ちながらみんなで動くことをやりたいです。
今度の勉強会でやらせてください!」って言いましたね。
また、たまたまですが、
その直前にもやらせてもらえる機会があって、
もう「やりたいから、やっちゃえ〜」みたいな感じでした。
そんな風に、やりたいと思ってすぐに行動に移すなんて、
今までの私にはほとんどなかったことですね。
最後に、今の世の中ってどうしても周りに自分を合わせたり、
時間の流れが早くてせわしなく感じるけど、という方が多いと思うんですが、
そんな方に何かいいアドバイスがありましたらお願いします。
アドバイス…って苦手です!
私の想い、ということで(^.^)
やっぱり自分。
でも、それは周りと断絶した自分ではなく、
全てと繋がっている自分です。
そして、言っていることに整合性がなく思われるかもしれませんが、
その境界もないかもしれない。
自分が自分であることを大事にすると共に、
自分は自分を超えた存在でもあり、
自然の一部でもあるということも大事にすること。
と、かなり抽象的ですね。
もう少しわかりやすく言うと、結局は自分が思っていることが、
そのまま外でも起こっている、ということだと思います。
自分が自分を大事にしなかったら、人にも大事にしてもらえない。
自分が自分を嫌いだったら、自分のことを嫌いな人が周りに集まる、
そんなことです。
なので、周りに自分を合わせなくちゃと思うと、
周りに自分を合わせるのがいいという価値観の人が集まってくる、
周りに合わせているそんなあなたを好きだという人が集まってくる。
時間の流れが早くてせわしなく感じるなら、
時間の流れが早くせわしないと感じる生活を送っている人が集まる、
せわしない生活を送っているあなたが好きだという人が集まってくる。
そんな感じでしょうか。
それがいいとか悪いではなく、
「それを自分が望んでいるのだろうか?」
そのあたりをしっかり自分と向き合って考えてみたほうがいい、
そんなことです。
でもこれは私の想いですし、
アドバイスというより私からのメッセージですので、
採用するかしないかはご自身の選択でお願いします。
読んでみて、もしピンときたら、何か腑に落ちることがあったら、
よかったらそんな考えを取り入れてみてください♡
今までご縁がなかった方もこのインタビュー記事をきっかけにご縁ができるのでしたら、
本当に嬉しく思います。
また、もう既にご縁をいただいている方は、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ブログ>http://ameblo.jp/kripaluyoga/
音叉ヒーリングアカデミーライトワーカー認定
吉田 瞳(よしだ ひとみ)